殿様が愛したお菓子

剛胆な武家茶道の華、カスドース。

百菓之図とカスドース

天保12年(1841年)、第十代平戸藩主松浦煕(ひろむ)公が着想し、およそ6年の歳月をかけて作られたお菓子の図譜「百菓之図」は、和菓子の他にもヨーロッパの影響を受けた菓子も色鮮やかに描かれており、カスドースはその代表的な存在でした。京都の絵師によって描かれた「百菓之図」の写本は今も大切に継承保存されております。

百菓之図とカスドース
百菓之図の複製は、京都の絵師に依頼。今も佐野屋家が所蔵し、現存する唯一の写本である。

佐野屋増時がカスドースを再興

大正6年刊の「平戸郷土誌」平戸名物(菓子)の項目には鶉餅、カステーラ、一口香、野田饅頭などが記載され、商品としてのカスドースは存在していませんでした。また南蛮貿易で殷賑を極めた時代からは遥か400年の時を経て、詳細も不詳となっていました。

昭和初期に、「百菓之図」を基に、湖月堂老舗の佐野屋増時が再興させたカスドースは、茶道鎮信流をはじめ、各流派の皆様、さらには九州の一大銘菓として発展を遂げました。

佐野屋増時がカスドースを再興

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茶道 鎮信流

平戸を本拠とした武家茶道

平戸には「喫茶養生記」で知られる栄西禅師が、日本で初めて宋より持ち帰った茶の実を蒔いたと伝えられる、茶畑「千光寺冨春園」があり、茶道には深いゆかりがあります。第二十六代当主・松浦鎮信(しげのぶ)は、将軍の茶道指南役を務めた大名・片桐石州の門下となり皆伝を受け、大名茶道の一派、鎮信(ちんしん)流を興しました。明治に入り、伯爵であり貴族院議員も務めた、第三十七代当主・松浦詮(あきら)氏は鎮信流の家元でもあり、茶道の振興に尽力。新時代の婦女子教育の一環として、茶道を女子学習院はじめ様々な女学校で指導。宮中にても宮様方のお茶のお相手を勧められました。その働きが現在の鎮信流の基盤となっており、第四十一代当主・松浦章氏に至るまで、連綿と継承されております。

茶人をも魅了するカスドース

和菓子でもよく使用される小麦粉・卵・砂糖というシンプルな素材で作る南蛮菓子カスドースは、お抹茶とも良くなじみ、松浦家発祥の茶道鎮信流をはじめ、広く全国各流派の皆様に永年ご愛顧を頂いております。カスドースの柔らかな薄黄色とお抹茶の取り合わせは、お茶席の風雅な趣を高めます。

茶人をも魅了するカスドース